なころん心のブログ

心のままに書き綴りたいです。

酒の飲み過ぎはよぐねぇ。

酒で心の痛みを誤魔化したくなる時がある。

でもな、酒は体に良ぐねぇ。

 

中年太り×ビールっ腹😓

 

歯車をかけるようなものだっちゃ。

 

若い時みたいにスリムになりてえだ。

 

あの頃はダイエットしなくても、運動しなくてもスリムでいられた。

 

あぁ、この時期がきたのね。

 

中高年ブルー。

 

鏡を覗けば顔の輪郭がぼやけているのがわかる。

 

二の腕の振り袖が気になる日が現実に来ると思わなかった。

でも来てしまった…。

 

年齢に伴う自然な体の変化であるが、やはり「美しくありたい」

 

もっと、歳をとって、太っただの、シミやシワも弛みも全て受け入れて

 

「歳なんだからしょうがないじゃない。」

と思える日が来たならどんなに楽になれるであろうか?

 

今はまだ、化粧水だの美容液だの、リンパマッサージだのを気にして実践している。

 

ガンバレ!!私!!

 

佐伯チズ先生の美容法で頑張るんだ💪

銀河鉄道の夜

宮沢賢治の有名な作品。銀河鉄道の夜がある。

私も2回くらい読んだことがある。

忘れている箇所も多いけれど、あの作品は、人間というものはつくづく孤独な存在だなぁ、と思わせられるような気がする。

 

貧しくていじめられっ子のジョバンニは、活版の仕事をしなくてはならず、忙しさのため学校の勉強にもついていけなくなっていた。

 

ジョバンニにとって友達と思える子供はカムパルネラという賢い子であった。

 

ジョバンニとカムパルネラと一緒に銀河の本を見て楽しく過ごした。確か、たった一回きりの楽しい2人の時間だったと書かれていたように思う。

 

確か銀河のお祭りの日の夜だっただろうか?

ジョバンニはある丘だったか草原だったかで疲れきって仰向けになって、眠ってしまう。

 

いつのまにかジョバンニは銀河ステーションにおり、銀河鉄道に乗っていた。

カムパルネラとは最初から一緒だったのか途中で一緒になったのかは忘れたが、2人は銀河鉄道で様々なものを見て、様々な人たちに出会った。

 

様々なものも、様々な人たちも、その場その場ですれ違ったいったような気がする。

「出会えて嬉しい。」でも、「ごきげんよう。」と…。

 

最後にはカムパルネラとも別れることになり、草原で眠っていたジョバンニは、ハッとなって目覚めた。

 

今まで、見ていた銀河鉄道は疲れた体を草原に投げ出していつのまにか眠っていた時に見た夢だったのだ。

 

人生はいろいろな人との出逢いがあるけれども、淋しい思いが強い人ほど、「ずっと友達でいたい。」そう思うけれど、長い付き合いであろうと、短い付き合いであろうと、最後は結局「ごきげんよう。」となる。

 

人は基本的に孤独な存在だということを伝えているような、そんな作品な気がする。

 

もう、何年もずっと読んでいないから、間違った記憶や忘れている箇所も多いと思うけれど…。

お庭の草取り

先日、美容院に行って髪を短くしてきました。

贔屓にしていた美容院。お店の場所が移転したそうでハガキが来ていました。 

その新しいお店に行ってきました。

若いライバル美容師がどんどん増えてきたためか、店舗が小さくなっていました。

私は離れません。

長い間良くしてくれた美容師さん。

私はこれからもファンでいます。お客さんと一緒に美容師さんも年齢を重ねていくのですね。

市日通りが近くなったのですね。

 

美容師さんが「市っていきますか?僕は婆ちゃんからアイス買うてやるっけついてこいてー。」と言われて荷物もちをさせられていました。そして終わるとご褒美のアイスをもらえたそうです。

 

桃太郎だったりバニラだったり…。

そんな子供時代を過ごしたと話していました。

 

美容師さんの腕も素晴らしい!

接客態度も素晴らしい!

  

私はあれこれと変えたりしない。

美容師さんたちも、お客さんたちも一緒に歳を重ねるそのことがとっても素敵なことだと思っています。

これからもよろしくお願いします😊

 

それで、私の薔薇園なのですが…。

「庭の草取りしたらアイスあげるよー。」

の言葉に気を良くして草取りしてくれる子供さんいたら便利なのになー🤭

なんちゃって🤭

お人好しのイエスマン

お人好しというか、イエスマンというのか、「自分が嫌だ」と思ったことをハッキリと言えない…そういう性格の弱さが私にはあるんです。先日、ある人の車に乗せてもらいました。

車のドアを開けたとたん、正直、うわっ!と思うような煙草の匂いがしました。

その人は自分から「あの、煙草の匂いすると思うんです。大丈夫ですか?」と聞いてきました。私は内心は「うわ〜、煙草くっさいなぁ〜。」と思ったものの、「はい、大丈夫ですよ。」と答えました。

嫌だと思ったことをハッキリ嫌だと言うこと、断りたいことをハッキリと断ることが苦手…。

 

この性格は幼少の頃より変わってないみたい。

そのため子供の頃から損というか、気苦労が多かったように思います。

 

いじめられっ子だったのも、そこに原因があったように思うのです。嫌だと思ったことを嫌だと言えない。反撃的な態度がとれず、「嫌だ」と内心では思っていても、しばらく黙ってうつむいて、「…うん。」と言ってしまうのです。

そこにつけこむいじめっ子の言いなりになっていました。小学校低学年の通信簿に担任の先生より「自分が嫌だと思ったことを嫌だと言えない弱さが見られます。素直な良さを大切にして、自分の意見も言えるようになるといいと思います。」というようなことが書いてありました。

 

嫌だと思ったことをハッキリと断れないことでハッキリお断り出来る性格の人ならば、しなくてもいい気苦労をしてしまいます。

 

大人になった今も、人から「サラ金からお金を借りて、返す分が足りないから二千円貸して!」と言われた時は、本当に大変な思いをしました。

ハッキリ言える人ならば「そのようなお金の貸し借りは良くないから貸しません。」とキッパリ言えるのでしょうが、私はただただビックリしてしまって、えっ?えっ?えっ?と戸惑ってしまいました。

サラ金に手を出したからお金を貸して欲しいだなんて、それまで言われたことはなかったです。初めてのことでした。

そのことを非常に負担に思い悩んで、精神科の主治医に相談しました。

私に「お金を貸して」と言ってきたその人も精神疾患があり、障害者手帳を持っています。

主治医からは「そのような場合、貸したお金は返ってきません。最初の二千円だけ貸して、それ以降は可哀想だけれど貸さないようにしたらどうかしら。」とのお答えが返ってきました。主治医に相談してもまだ不安が拭いきれず教会の神父さまに相談しました。

神父さまは「貸したお金は返ってきません。ハッキリと断ることです。その方があの人のためです。お金を貸すことはあの人のためになりません!」と仰いました。

多分、神父さまは私の気弱さを見抜いていたのでしょう。

「さぁ、堂々と笑って帰ってください!そしてお金を貸すのはお断りするのですよ!」

と背中を押すように言ってくれました。

 

帰宅後、彼女に電話をかけて「お金を貸すことは出来ない。」と伝えました。

でも、返ってきた答えは厄介なものでした。

 

「それは分かっていた。貴女が主治医に相談するだろうことも分かっていたし、貴女なら先生に言われた通りにすることも分かっていた。それでも貸して!って言ったのはそれほど切羽詰まっていたからなの。」

 

「それでもお金を貸すこと出来ない…。」

 

そう言うと、

「だったら私はスルよー。他の人のお財布から二千円をスルよー。友達がスリをするー。友達が罪を犯すー。それでもいいの?」

 

私は心が怯みましたが、何とか最後まで「お金を貸すことは出来ません。」を通しました。

 

彼女は同じカトリック教会の信者さんですが、私はそれ以来、彼女を避けて、会うことがないように、同じ電車にならないように別方面の電車になるカトリック教会に通うようになりました。

 

これはもう3年以上も前のことと思います。

コロナ禍の前でしたから…。

 

今でも私は、歩いていて彼女にバッタリ会ったりしないかと怯えているのです。

 

彼女はもう「何年も前のこと」と忘れているかもしれないのに…。

 

私は今も怯えています。

 

警察に行って相談したこともありましたが「断ればいいというだけのことで」と相手にされませんでした。

 

私は今でも怯えているのです。

 

彼女に会うような場所に行くことを避けています。

 

 

適応出来なくて恥ずかしい

私の家は自営業をしています。

本来ならば私も現場に出て手伝うべきなのでしょうね。でも、それが出来ない私がいます。

 

従姉妹は家業の豆腐屋さんの手伝いをしていました。従業員はいなくお父さんとお母さんだけ。

 

私も従姉妹と同じように家族だけならば、手伝い出来ると思うんです。

 

でも、工場には従業員さんたちがいます。

自分が恥ずかしくて…。

また、従業員さんたちは決まった時間に出勤して決められた時間に退勤。忙しい時は残業もします。

 

私、従業員さんたちと同じように出来ないんです。それだけじゃなく従業員さんたちには色んな個性の人がいて、私のような者を温かい気持ちで見てくれる人もいるかも知れませんが「甘えているとしか思えないね。」そう思う人もいるでしょう。

 

弟のお嫁さんも工場を手伝っているのに、私、恥ずかしい…。

 

ずっとコロナのこともあって踏み出せないでいましたが、今度、精神科の主治医に、作業所通所について相談したいと思います。

 

お花とおじいちゃん

祖父はお花が大好きな人でした。

もともとはとっても働き者で真面目な人なのですが、病弱な体で無理をして働いたため46歳の時に倒れてしまい、人並みに仕事をすることが困難になってしまいました。

生涯喘息持ちでした。

体調がいい時だけ仕事をしていたようです。

そしてお花畑。

 

園芸が好きでした。

幼い私に花の名前を教えてくれました。土質を良くする腐葉土のことやスコップで鉢に移すときは「根を痛めないように気をつけるんだよ。」と教えてくれました。

 

祖父はダリアが好きだったように思います。

室内で育てる鉢植えも持っていました。

 

幼かった私は「花壇が欲しい。あの花が欲しい。薔薇が欲しい。」だのと我儘をいっては祖父が教えてくれたこと…。

「あのね、朝早くに水遣りをして、夕方になったらまた水遣りをするんだよ。」

水遣りのお約束を守らなかったので、祖父が植えてくれたお花たちをどんどん枯らしてしまいました。

 

遊びに行くと「おじいちゃんが可愛いお花を植えてあげてもなこちゃんが皆んな枯らしてしまう。」と言われたものでした。

 

園芸上手な祖父がどうしても育てられなかったのは薔薇🌹

 

今、薔薇栽培をしている私は容易に想像出来ます。薔薇に病気と虫害はつきものです。

だから農薬を使います。

祖父もそのことを知ってたのかもしれませんが、体のことを考えて農薬を使わなかったのかも知れません。

 

祖父が亡くなった後、一度は祖父が作ったお花畑を取り壊したのです。

歩きやすくするためにコンクリートの足台を並べたりしました。

 

でも土が残っている部分を、私がまたお花畑にしました。

 

土を掘ると石やらコンクリートの残骸やらゴツゴツが沢山出てきて、取り除いてもキリがないそれをひとつひとつ手で取り除きました。

 

そして薔薇を植えました。

薔薇栽培の専門家の先生の本を読みながら、チャレンジしました。

 

ホームセンターから腐葉土や堆肥、農薬、剪定鋏、園芸用手袋など、園芸用品を沢山買いました。

 

11月に注文していた薔薇苗がまた届く予定です。

 

「薔薇は好きだけれど、こんなにたくさんそだてられるのかしら?」

 

少し心配もあります。

 

祖父のことをよく思い出すのです。

 

まず、両親の方が先にあちらの世界に行くでしょう。そして私がこの世の命を終えて祖父に会えたなら、お花の話を沢山したいのです。

「私ね、おじいちゃんがなかなか育てられなかった薔薇を育てたんだよ。こんな色のとか、こんな香りがするのとか、綺麗な薔薇沢山育てたの。専門家の先生の本を読んで勉強しながら育てたの。」

 

天国での楽しい語らいは薔薇色に、良い香りでいっぱいになることでしょう。

 

薔薇以外のお花のお話もしたいです。

 

大好きだったおじいちゃん。

大好きだったおじいちゃん。

 

薔薇にダリア、チューリップにグラジオラス。

沢山お花のお話しようね。

 

命日には、なるべくお墓参りに行くことにしています。

 

お花屋さんには「故人が色とりどりのお花が好きな人だったので菊の他にも色んなお花を入れて欲しいです。」そう言って、このカーネーションもあった方がいいな、このお花もあった方がいいな、とお花屋さんと一緒に??花束を作るんです。

 

おじいちゃん、天国から私の薔薇園を見ていてくれたら嬉しいな。

 

薔薇園は私の夢

私は独身。結婚してご主人や子供さんと暖かい家庭を築いている同年代の人たちが羨ましくなったりします。となりの芝生は青く見えるということですね。

 

私が(今更)お嫁に行くことを考えたら「薔薇園を手放さなくちゃ駄目」「愛猫とも別々に暮らすことになる」そう思ったら、今のままで幸せなのだと気付きました。

 

長年の間、家の隣りに空き家がありました。

ずーっと、ずーっと、誰も人が住んでいないままでした。

 

ある日、その空き家がガタガタっと崩れてしまいました。

 

その空き家だったところを今、私や父は好きな植物を植えて楽しんでいるのです。

 

少しずつ、少しずつ、欲しい薔薇苗を購入して植え付けて、薔薇園になりつつあります。

 

淋しさはありますが、色彩や日光の当たり具合など、自分で考えて設計して美しい薔薇園にしたいのです。

 

秋口に大苗が売り出されます。

奮発して新しい薔薇苗をまた2つ注文しました。遠く離れた愛知県の薔薇農家さんから注文しました。何故そんなに遠い薔薇農家さんから注文したかというと、一番最初にホームセンターで購入した薔薇苗がそこの農園さんのオリジナルの薔薇だったのです。

エミオという品種でした。

エミオはピンク色で中心部にクリーム色が見える優しく可愛らしい色合いで、香りもすごく良かったです。1年か2年は咲いてくれていましたが枯れてしまいました。

私はエミオを作り出した愛知県の薔薇農家さんに「大雪で枯れたのではないか?」と問い合わせたのです。お答えは「北海道でも栽培されてみえるので耐寒性はあると思います。余談ですが、お客様のお名前は私の母と同じ名前です。2年前に亡くなりました。なのでとても親しみを感じます。」

何だか嬉しくなってしまって、再びエミオと別の品種を注文しました。

 

お手入れはなかなか大変です。

草取りと農薬散布。肥料。お金もかかります。

 

私が元気でいる限り、薔薇園のお手入れをして綺麗に咲くようにしたいです。

 

両親にも元気で長生きして欲しいです。

 

そして薔薇が咲くたびに、両親に「ほら、あの品種の薔薇が咲いたよ。」そう言って見せたいのです。

 

両親も美しい薔薇を見て喜んでくれます。