なころん心のブログ

心のままに書き綴りたいです。

お人好しのイエスマン

お人好しというか、イエスマンというのか、「自分が嫌だ」と思ったことをハッキリと言えない…そういう性格の弱さが私にはあるんです。先日、ある人の車に乗せてもらいました。

車のドアを開けたとたん、正直、うわっ!と思うような煙草の匂いがしました。

その人は自分から「あの、煙草の匂いすると思うんです。大丈夫ですか?」と聞いてきました。私は内心は「うわ〜、煙草くっさいなぁ〜。」と思ったものの、「はい、大丈夫ですよ。」と答えました。

嫌だと思ったことをハッキリ嫌だと言うこと、断りたいことをハッキリと断ることが苦手…。

 

この性格は幼少の頃より変わってないみたい。

そのため子供の頃から損というか、気苦労が多かったように思います。

 

いじめられっ子だったのも、そこに原因があったように思うのです。嫌だと思ったことを嫌だと言えない。反撃的な態度がとれず、「嫌だ」と内心では思っていても、しばらく黙ってうつむいて、「…うん。」と言ってしまうのです。

そこにつけこむいじめっ子の言いなりになっていました。小学校低学年の通信簿に担任の先生より「自分が嫌だと思ったことを嫌だと言えない弱さが見られます。素直な良さを大切にして、自分の意見も言えるようになるといいと思います。」というようなことが書いてありました。

 

嫌だと思ったことをハッキリと断れないことでハッキリお断り出来る性格の人ならば、しなくてもいい気苦労をしてしまいます。

 

大人になった今も、人から「サラ金からお金を借りて、返す分が足りないから二千円貸して!」と言われた時は、本当に大変な思いをしました。

ハッキリ言える人ならば「そのようなお金の貸し借りは良くないから貸しません。」とキッパリ言えるのでしょうが、私はただただビックリしてしまって、えっ?えっ?えっ?と戸惑ってしまいました。

サラ金に手を出したからお金を貸して欲しいだなんて、それまで言われたことはなかったです。初めてのことでした。

そのことを非常に負担に思い悩んで、精神科の主治医に相談しました。

私に「お金を貸して」と言ってきたその人も精神疾患があり、障害者手帳を持っています。

主治医からは「そのような場合、貸したお金は返ってきません。最初の二千円だけ貸して、それ以降は可哀想だけれど貸さないようにしたらどうかしら。」とのお答えが返ってきました。主治医に相談してもまだ不安が拭いきれず教会の神父さまに相談しました。

神父さまは「貸したお金は返ってきません。ハッキリと断ることです。その方があの人のためです。お金を貸すことはあの人のためになりません!」と仰いました。

多分、神父さまは私の気弱さを見抜いていたのでしょう。

「さぁ、堂々と笑って帰ってください!そしてお金を貸すのはお断りするのですよ!」

と背中を押すように言ってくれました。

 

帰宅後、彼女に電話をかけて「お金を貸すことは出来ない。」と伝えました。

でも、返ってきた答えは厄介なものでした。

 

「それは分かっていた。貴女が主治医に相談するだろうことも分かっていたし、貴女なら先生に言われた通りにすることも分かっていた。それでも貸して!って言ったのはそれほど切羽詰まっていたからなの。」

 

「それでもお金を貸すこと出来ない…。」

 

そう言うと、

「だったら私はスルよー。他の人のお財布から二千円をスルよー。友達がスリをするー。友達が罪を犯すー。それでもいいの?」

 

私は心が怯みましたが、何とか最後まで「お金を貸すことは出来ません。」を通しました。

 

彼女は同じカトリック教会の信者さんですが、私はそれ以来、彼女を避けて、会うことがないように、同じ電車にならないように別方面の電車になるカトリック教会に通うようになりました。

 

これはもう3年以上も前のことと思います。

コロナ禍の前でしたから…。

 

今でも私は、歩いていて彼女にバッタリ会ったりしないかと怯えているのです。

 

彼女はもう「何年も前のこと」と忘れているかもしれないのに…。

 

私は今も怯えています。

 

警察に行って相談したこともありましたが「断ればいいというだけのことで」と相手にされませんでした。

 

私は今でも怯えているのです。

 

彼女に会うような場所に行くことを避けています。