この歳で、贅沢に習い事なんかさせてもらっているんだ。
劣等感が強いもので理想ばかり追い求めてしまっているんだと思う。
何か「デキル」という自分でなくても、わたしには「デキル」「デキナイ」とかの物差し関係なく良いところが、あるのではないだろうか?
それが自覚出来ていたなら…。
自信があったなら…。
ピアノも編み物手芸も分からなくても、下手くそであっても、私という人間の価値はそんなもので決まるのかしら??
不登校、中卒、引きこもり、生きづらさ…。
やっぱまともに歩んでこれた人が羨ましいよ。
悩みのない人なんていないっていうけれど…。
ピアノが出来ない自分は許せない!だなんて何を意地を張っているのか…。
才媛だの、聡明だのと、私だって人さまに褒められたいよ。
最近、新しいピアノの楽譜を買ったんだ。
才能のあるピアノ弾きの人って、こんなわけのわからない暗号みたいな楽譜がスラスラ読めるんだね。
私は楽譜はスラスラ読めない。
暗号みたい…。
でも、編み物の記号図は読める。
大体は、分かる…。
編み物は若い時に基礎から習ったから記号図を読めるんだと思う。
ピアノは入門的なことを子供の時に教室で習って途中でやめてしまった。
私は「デキル」人になりたがっているんだ。
カッコいいと思われたいんだ。
馬鹿にされたくないんだ。
もう、手放していいんじゃないか?って思うんだけれど、意地になってピアノにしがみつく。
才媛とか、聡明なんかじゃないのに…。
この歳で何を追い求めてる??
そんな習い事をしていられる私の立場を羨ましいという人もいるだろう。
私がピアノ弾きだというならば、宮沢賢治のセロ弾きのゴージュみたいなものと思う。
そこまで努力しなければ出来ないことを諦め悪く、いつまで追い求めているのだろう。