なころん心のブログ

心のままに書き綴りたいです。

今度は私が…。

若き日、悩める孤独な少女だった私…。

心優しい親切な大人たちが手を差し伸べてくれました。

近所のおばあちゃん。小学校の頃の校長先生。それからガールスカウトのリーダーをしていた母の同級生。

それから他にも私のような立場の者を理解し、温かい想いで接してくれた大人の人たちがいました。

近所のおばあちゃんはボランティアに熱心な人でした。何年か前に亡くなりました。

校長先生はもう90歳を過ぎており、お身体も弱っているのではないでしょうか?

 

ガールスカウトのリーダーだった母の同級生の方はご主人を亡くされました。子供もいません。

 

困っている時、辛い日々に助けてくれた人たちが年老いていく。

 

ガールスカウトのリーダーでお世話になったSさん宅を訪問してみようかな。

 

少しでもその人の慰めになるのであるなら…。

 

私で良いのであれば…。

 

そうだ。クッキーでも持って行ってお宅を訪問してみよう。

少数派になってしまった傷

私は登校拒否と呼ばれる子供でした。

同じ学校で同じ学年では私だけがなりました。

「皆んなはならなかったのに、どうして私だけがなったのだろう…。」

私の育ちに問題があったのか…と考えたり、親の悪口を言われたりしたことはとても辛いことでした。

あれから30年以上もの年月が経ちました。

今は不登校の子なんて珍しくも何ともない。

沢山いるとのこと。

あぁ、私はまだ数が少ない時代に不登校になったばかりに損をして来たなぁ。

私なりに悩み苦しんで、孤独の中。

「皆んながそうはならなかったのに私だけがなってしまったということは、私には悪い遺伝子がある。」そのように思い込んでしまったのです。

 

私が結婚して子供を産んだら、その子も同じ苦しみを味わうと…。

 

今は沢山いるから、不登校の子が特殊な問題児という見方をする人は昔より減っているでしょう。

私だって結婚しても良かったのに…。

当時、奥地圭子さんという方がテレビや新聞に出ており「登校拒否の味方。学校に子供たちがい辛くなってしまう問題がある。」という説をしきりに説いていました。

著書も沢山出していました。

母が読み、私も影響を受けたものでした。

登校拒否になったことが決定的な挫折と思っていました。

そのため、他の全てのことに消極的になってしまいました。

今は沢山いるから特殊な子供じゃないってわかってるのにね。損をしました。

人生の半分まで来た今は、「辛い出来事は誰にでも起こって来る」と見えてきました。

誰にでも人生の十字架はあるのだと…。

 

 

醜い嫉妬

最近、母親に言われたんです。

コロナでお盆くらいしか姪に会えない状態になっている。

姪はもう中学生。

保育園、小学校とお絵かきの大好きな子でした。そしてまた上手なんですね。f:id:itandasumire:20220722233127j:image

この絵は大人気の鬼滅の刃の絵。

この絵はあの子が5年生くらいの時に描いたものです。

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そしてこれはもっと前に描いてくれた私の絵。

遊びに来ていた姪に声をかけたら、姪は私を見ながら鉛筆で私の絵を描いてくれました。

私、こんなふうな感じなの??

こんなに優しくニコニコしているように姪には見えたのかしら???

私の絵をササーッと描いてくれたことは多分、貴女は忘れているかもね。

でもね、私は嬉しくてこんなふうに今でもお部屋の壁に貼ってあるの…。

 

貴女はもう中学生。無邪気な子供時代はもう終わってるね。もう、密かに想っている好きな男の子もいるんじゃないかなぁ。私はそんなふうに思っているよ。だって思春期だもの。

 

クラブ活動は美術部に入ると思っていたら、剣道部を選んだのね。パパや私に似て運動の苦手な貴女。それでもよく頑張っているそうね。

応援しているよ!

 

コロナで姪に会えない私に、母が姪の写真を持って来て見せてくれました。

 

もう「無邪気」は感じられなくなっていました。20歳に近づいている「少女」の顔と思いました。

 

すっかり大人っぽくなってしまった姪の写真を見て、何だか複雑な気持ちになりました。

自分でもなんだかよく分からない気持ち…。

 

そして私の顔色が急に暗くなり、塞ぎ込んでしまったのを見て、母はビックリしてしまったと言います。何か私の中に蓋をしていたような複雑な思いが大人っぽくなった姪の写真を見たことで噴き出てしまったのでしょうね。それは自分でもよく分からない思いなのです。

 

次に母が来た時に私は言われました。

 

「あなたが姪のことを気にかけているから、今の写真を見せてあげたら喜ぶだろうと思って写真を見せたのに急に暗く塞ぎ込んだのでビックリした。どうして姪の成長を喜んであげられないの。あなたは自分より不幸な人と一緒にいないと幸せになれないように感じた。それではあんまり惨めだ。他の人の幸せを喜んであげられる努力をしなさい。」

 

確かに私にはそう言う心の傾きがあるかもしれない。でも、違うの。姪の写真を見て塞ぎ込んでしまった理由は自分でもよく分からないの。

子供らしい無邪気さがすっかり消えてしまって淋しくなったというのもあるかも知れない。

 

母には「嫉妬、妬みばかりじゃなくてね。」と言われたのですが、そういんじゃなくてちょっと違うんです。

 

確かに自分が惨めな状態にある時にどんどん上に上がっていく人を見て嫉妬心に苦しんだ経験は何度もある。

 

でもね、姪の成長した写真を見て暗くなってしまったのは「嫉妬」とはまた別の感情で自分の心の奥底に沈んでいたようなものがバーッと噴出してしまったようなもので「嫉妬」とはまた違うものだと思うんです。

 

姪は思春期。難しい年頃だから心配しています。想っています。

 

私にとって「なんて醜い嫉妬」と自分でも思ったことは別なことにあるんです。

 

それは幼馴染のキクちゃんのこと。

 

キクちゃんは生い立ちが気の毒な子でした。

幼い頃に両親が離婚。母親に引き取られるも、子連れの男性と2回再婚、離婚を繰り返しています。

 

キクちゃんのお母さんと私の母は高校時代の同級生で仲良しでした。

 

母からキクちゃんがどのような大変な生まれ育ちだったかはよく聞きました。

キクちゃんはすごく気の強い子でした。いじめなんかに負けない、むしろいじめられたらいじめ返すくらいの気の強い子でした。

 

母は私に聞かせてくれました。

 

離婚の原因はお父さんがギャンブルばかりしていてお母さんを殴る蹴るの暴力をする人であったこと。また再婚は子連れの男性で、キクちゃんは本当のお父さん、本当の兄弟ではない子供たちと一緒に暮らすことになり、リラックス出来なかったであろうとのこと。

 

2度目の再婚では子連れだけでなく、家政婦さんがおり、その家政婦さんがキクちゃんに冷たかった。おやつやご飯のおかずは先妻の子供たちには美味しい良いものが与えられ、キクちゃんにはおやつもご飯のおかずも粗末なものしか与えられず、あまりの差別にキクちゃんのお母さんは家政婦さんに言ったことがあったそうです。そしてまた離婚。この辛い時期はキクちゃんが小学校に上がるまで続いたみたい。

これでやっと、大好きなお母さんと2人だけで暮らせる。この時がキクちゃんにとって一番心が安らげる時だったように思うと。

ただ、生活をしていくために、キクちゃんのお母さんは保険のセールスの仕事をしており、鍵っ子、学校から帰っても、土曜日も日曜日もひとりぼっち。そのことがキクちゃんにとってやはり辛かったらしい。

小学校一年生の時にキクちゃんと私は同じクラスになりました。そして母親同士が仲良しだったので、お互いの家を行き来して遊びに行ったり来たりして、一緒に海水浴、化学博物館などに行って楽しかったです。

 

そして小学校5年生の一学期にまた悲劇が…。

 

今度は離婚再婚などというものではなく、キクちゃんの大好きなお母さんが、突然死してしまったのです。ママさんバレーボールの最中に倒れたとのこと。脳梗塞か何かでしょうか?

まだ30代半ばだったと思う。

 

どんなに気が強い子でも、こんなことがあって悲しくない筈はないと思うのです。

 

その当時、キクちゃんのお母さんの顔を思い出して、私も自分の家で泣いたことを覚えています。

 

それでもキクちゃんは学校には来ました。

泣いた顔なんて見たことがない。いつもと変わらぬ元気で気丈な態度でした。

 

その後、キクちゃんはおばあさんに引き取られ、高校進学にはおじさんおばさん夫婦に引き取られました。

 

私などは父母の不仲な様子は見たことがありません。初子だったので、祖父母にもそれはそれは可愛いがられ、愛情を惜しみなく注がれて育ちました。2人の弟とも仲良しです。

そのことがどんなに幸せなことか…。

 

それなのに、私は…。

 

キクちゃんに嫉妬をした…。

 

高校を卒業してからキクちゃんは東京に出て行きました。理由としては周りの人たちが「あの子は親のない子」と見る。そして、そのことを皆んなが知っているのが嫌だからというのがあったようです。

それと華々しい都会への憧れ。

亡くなったお母さんが「もしも自分に何かあった時のために」と保険に入っていたので金銭的にも困らなかったのでしょうね。

 

私は私で「結婚をしても幸せになれない。子供を産んだとしても私が親ならばその子は幸せになれない。だって私の遺伝子を引き継いでいるんだから。難しい社会問題となっていることを経験しただけに自分の子供が同じようになった時、あぁ、やっぱり私の子だからそうなった、という落胆。どのようにしたらその子が幸せになれるか分からない。そうなるのが怖い。」

 

それだけじゃないけれど、結婚をしないで来た理由としてあげられます。

 

キクちゃんはキクちゃんで、どう考えても結婚に希望や幸せを見出せる生い立ちではないため多分、結婚には億劫になるだろうな、私は勝手にそう考えていました。

 

キクちゃんのおばさんのこともよく知っています。キクちゃんのおばさんと私の母とは、小学校時代からの同級生だから。

 

40歳をすぎて何年か…。43歳くらいの時に、キクちゃんのおばさんから、キクちゃんが結婚したことを聞きました。

 

でもそのことを聞いた途端に私の心は淋しくなりました。

 

喜んであげなくちゃダメでしょ!?

 

…キクちゃん、おめでとう。辛い人生を歩みながらも「この人なら大丈夫。この人は本当の自分を解ってくれる。この人となら仲良く暮らしていける。そういう男性に会えたんだね。」

本音を言うと私もそういういい人が欲しい…。

馬鹿ね。醜いわね。何でも欲しがり屋さんなのね、私は…。

 

私にも幸せなことがたくさん与えられているのに…。感謝すべきことがたくさんあるのに…。

家族に愛されているのに…。

 

それと最後に、若いお嬢さんたちが結婚したくない!という気持ちになってしまう要素のひとつとして橋田寿賀子さんのドラマ作品があげられると思う。

 

渡る世間は鬼ばかり」「おしん」「隣の芝生」この3ついずれも見たり読んだりすると若いお嬢さん方は「結婚恐怖症」になってしまうよ。少なくとも私はそうなりました。

 

だって、だって、お姑さんがすっごく嫁いびりするんだもの。昔の人はそのことが分かっていてもお嫁に行ったのかもしれませんが…。

 

甘い時代に育ったのかしらねぇ。私…。

孤独な夜の目覚め

また、あの夢を見てしまった…。

たかが登校拒否…。中学校にも高校にも行かなかった…。

 

同級生では私だけ…。

 

他にそんなふうになった子はいなかった…。

 

仲良くしてくれた同級生は皆んな、お嫁に行ってお母さんになっている…。

 

私は、こんな経歴だし、皆んながそうはならなかったのに、わたしだけがなってしまった…。

 

若い時から結婚に対して希望や夢が持てなくなってしまった…。

 

あゝいずみちゃんという同級生がよく夢に出てくるの…。

 

いずみちゃんは私のことなんて、とっくに忘れているのにね…。

 

いずみちゃんは分け隔てなく、ニコニコと明るく接してくれた。

 

一回だけ中学校の教室に登校して、体育館で体育の授業を受けた時もそういうふうに接してくれた…。

 

小学校4年生の時に同じクラブ活動で、掃除当番も一緒だった。

 

同じクラブ活動にようこちゃんという転校生がいて、ようこちゃんのお誕生日会にも行ったね。いずみちゃんも来ていたね。

もう遠く過ぎた日々…。

とても楽しかった…。

 

いずみちゃんの夢を、たまに見るんです。

 

会いたい、会いたい…。

 

でも今更ね…。

 

私は結婚をしていない。結婚をしたとしてももう子供を産むことはできない。 

婦人科のお医者さんにそう言われました…。

 

ご主人、子供…。

 

幸せそうだな…。

 

でもね、隣の芝生は青く見えるんだよね。

結婚をしたとしても夫婦が不仲な人もいれば、離婚する人たちも沢山いる。

皆んなが皆んな幸せな結婚をしているわけでもない…。

 

でもね、でもね、とっても孤独な境遇にあって、私みたいに「自分は結婚をしたとしても幸せになれない。」そう思ってしまうことが仕方のないような人が結婚した…。

 

そんな話を聞くと嫉妬もあるのか淋しくなるのです。

 

私も皆んなで楽しく笑っていたかった。 

幸せになりたかった…。

 

結局は上を見ればキリがない。

下を見てもキリがないんだよね。

 

主人も子供もいないけれど、今私を思ってくれて支えてくれる人たちを大切にするしかないね。

 

でもね、でもね、いずみちゃんの夢を見て目覚めた時はいつも決まって淋しくなるんです。

 

会いたい…。遊びたい…。

 

それも仕方がないことだね…。

 

淋しい…。淋しい…。

 

天国に一番近い島

映画のタイトルだったか?歌のタイトルだったかに「天国に一番近い島」というのがあった気がします。

 

天国に一番近い島…。

 

皆んなが仲良く笑い合って愛と赦しの世界

キリスト教の教会」がそうあるべきな気がする…。

 

でも、勿論、欠点のひとつもない人は一人もいません。

 

一般の人たちから見れば、キリスト教は「愛と赦し」の教え。実際にもそうなのですが、この私も含めて、「これでもキリスト教徒なのか⁉️」と首を傾げたくなるそういう場面も起こってきます。

 

私は今、キリストの信仰を見失いつつあります。だから、元のように「イエスさま、マリアさま。全能の神を信じます。」辛い時も、楽しい時も共にいてくださるのは神さま…。

その信仰を取り戻すために一日に、少しのロザリオの祈りを始めました。

マリア様、どうか私の心を御子イエスさまのもとへと立ち戻らせてくださいと…。

 

キリストの教会を「天国に一番近い島」のような優しい雰囲気にするためには、やはり、私たちの祈りと努力が必要なのですね…。

 

心の清い人は幸いである。柔和な人は幸いである…。そのような人になろうという心がけ、努力、祈り…。

 

人間は弱いものですから、感情的に人を怒鳴り散らしてしまったり、金銭に弱かったり、権力を欲しがったり、嫉妬したり、敵意を抱いたり…。

 

そんな私たちだから、日曜日に教会に集まり、

「私たちの罪をお許しください。私たちも人を許します。私たちを誘惑におちいらせず悪からお救いください」と神父や牧師、信徒の人たちも声を合わせて祈ります…。

 

天国に一番近い島…。

そのようなところにいる人は、実は大変な辛い状況にある人なのかなぁ?とも思えます。

 

今は集中力がなくて読書も出来なくなってしまったのですが、洗礼を受ける前、またはその後、いくつかの聖人伝を読んだりしました。

 

聖人と呼ばれるほとんどの人たちが虐められていたみたい…。

 

小さき花のテレジア、ベルナデッタ、アッシジのフランシスコ…。

 

他の聖人はよく知りません。

でも皆んな虐められていたみたい…。

 

聖人ともなるような人は、どんなに辛い状況でも、病床にあっても、罵られても、十字架上のイエス様と一緒に耐え忍ぶ…。

そのような深い信仰心があったのだろうなぁ…そのように思います。

 

私が通っている教会でも、「これでもキリスト教徒なのか⁉️」と思ってしまうような話を聞きます。私自身のことも含めてですが、他の教会でも、「えっ!?キリスト教の教会なのに、そんな悲しい軋轢があるの??」そんな話も聞いたりします。

 

私もいろいろと悩み、自分の所属教会には行かなくなりました。

 

少し遠いけれど、所属教会とは別方面の電車に乗って、居心地の良い教会に行くようになりました。

 

そちらの方がもうとても居心地が良くて、所属の教会にはもう行きたくない思いになっています。

 

とても、とても、いろんなことがあって…。

複雑な思い、割り切れない辛い思いがあって…。今は、心の傷、恐怖感が癒えるまで、

少し遠いけれど居心地の良い教会に避難していたい思いでいます。

女の執念は恐ろしい!

最近、長い間、友達付き合いをして来た人と、2度目の絶交状態となった。

 

恐ろしいこと、それは…「可愛さ余って憎さ100倍となる」

 

仏教系の本で読んだことがあるのだが、人は友人であろうと恋人であろうと夫婦であろうと、相手を愛してるいるようで、本当は自分を愛しているのだとか…本当にその通りと思う。

 

私は趣味特技というほどでもないが、ピアノを弾く。

 

私がピアノを弾くことを知っている絶交状態となったその友人は、私に「自分の家にあるピアノを貴女に譲りたい」と言ってくれたことがあった。ピアノとは大変な高価な楽器である。

その高価なピアノを私に受け取って欲しい…そう言ってくれたその人の厚意は嬉しかったし、また恐縮もした。

 

結局、私のところにその人の家で使っていたピアノが届くことはなく、中古ピアノとして業者に売ったそうだ。それで良かった。

 

高価で思い入れのある物には人の念がこもるという。その意味で恐ろしい。

私のことを友人として好いてくれていたことも事実と思うが、絶交状態となるとその好意や愛情は燃える憎しみへと変わることもあるのだ。

 

「好き」が激しい炎🔥のような「憎しみ」へと回転するように変化する心模様は私も経験している。そういった憎しみは長く続くものだ。

少なくとも私の場合は激しい憎しみに苦しんだ歳月は長く続いた。私も執念深いが、その人もまた執念深い人なのだ。

 

その人の家に置いてあったピアノを譲り受けることになったらこれはとんでもなく大変なことだ!!

 

考えただけで恐ろしい!!

「可愛さ余って憎さ100倍」の怨念のこもったピアノを見ては悲しく辛い気持ちになったことであろう。

 

ピアノは大きいし、重たくてそう簡単に移動出来る物ではない。

 

あぁ、本当に譲り受けることにならなくて良かった。

霊能者って一体!?

かつて昭和の後半から平成の前半頃まで、宜保愛子さんという霊能者がテレビに出て活躍していた。著書もたくさん出していた。

「驚異の霊能力者」と呼ばれていた。

ちょうど宜保愛子さんが活躍されていた時、悩める少女であった私は、宜保愛子さんの本を読みまくった。テレビ番組も見た。そして信じた。

 

今思うと宜保愛子さんの霊能力は本物だったのか???

ちょっとよく分からないけれど、「いいことを教えてくださったなぁ。」と思うことは、「自殺をしても幸せになれません。」ということ。

 

様々な亡き人の霊が見えてしまう宜保さんは、「自殺霊というのはなかなか成仏しにくいものなのです。淋しいのです。自殺にいたるまでは計り知れない深い孤独があった筈です。自殺してしまう人は自殺したら楽になれると思って自殺をするのでしょうが自殺したその瞬間に後悔をしているものなのです。」

 

宜保さんが残してくれたこの言葉で「最後まで生ききろう」と思えた。っていうか、その後、私にも自殺行為をしこともあったし、希死念慮もあったのだが、YouTube動画で再び宜保愛子さんのお言葉を聞いて「自殺はするまい。最後まで生ききるんだ。」と思えたのです。

 

宜保愛子さんが亡くなられた後に江原啓之さんという男性霊能者の著書が並ぶようになったり、テレビにも出るようになった。

 

江原啓之さんブームの時は、私はそれほど悩める人でなくなっていため、彼の著書には興味を持たなかった。テレビに出ていてもそれほど関心を示さなかった。

その他、木村藤子さんという霊能者も話題になっていた。

 

ここ数年のコロナ禍でYouTube宜保愛子さんの他に江原啓之さんや木村藤子さんの動画もちょっと見てみた。

 

皆んな言うことに違いがある。宜保愛子さんは何もしなくても自然に霊能力が備わったという。江原啓之さんはなんかイギリスの霊能力を高める学校で訓練や学びを重ねて能力が出るようになったそうだ。

 

宜保さんは「水子霊障となることはありません。」と言っていたが、江原啓之さんは中絶経験のある女性に対して「女の子が見えます。この世に生まれて来たくても生まれて来れなかった子の霊が見えます。」とか言っていた。

 

木村藤子さんはよく分からないけれど何か宗教を信仰しているのか丸い鏡のある祭壇に向かって「ちょっと神様に聞いてみます。」とか言う。

 

どうなのかな?日本三大霊能者というのか、皆んなそれぞれ言うことに少し違いがあるのだ。

 

詳しく本を読んだりして勉強したわけではないけれど…。

 

私が一番関心を持って本を沢山読んだ霊能者はやはり宜保愛子さんだ。

 

「あれもこれもと霊のせいばかりにしてはいけません。私たちの努力というものがないと人生の道は開けません。」

 

こうも仰っていた。

 

霊能者と呼ばれる人に大金をはたいてまで頼ったり、相談に行くならば、よっぽどのことでない限りしない方が良さそうだ。

 

「努力」ではどうにもならないこと。例えば大事な身内の人が失踪して警察にも届け出たのにいつまでも見つからない。どんなに探してみても見つからない。どこにいるのか分からない。とか…。

 

努力の仕様がないことで困らない限り、霊能者と呼ばれる人には頼りすぎたり信じすぎない方が良さそうだ。

 

だって、「霊能者」と名乗る人もなんか微妙に言うことが違うから…。

 

半信半疑というか、良いアドバイスだけ信じて大事にして、後は「人生は山あり谷あり」耐え忍ぶことが大事なのではないかなぁ?

 

そんな気がします。