最近、母親に言われたんです。
コロナでお盆くらいしか姪に会えない状態になっている。
姪はもう中学生。
保育園、小学校とお絵かきの大好きな子でした。そしてまた上手なんですね。
この絵は大人気の鬼滅の刃の絵。
この絵はあの子が5年生くらいの時に描いたものです。
そしてこれはもっと前に描いてくれた私の絵。
遊びに来ていた姪に声をかけたら、姪は私を見ながら鉛筆で私の絵を描いてくれました。
私、こんなふうな感じなの??
こんなに優しくニコニコしているように姪には見えたのかしら???
私の絵をササーッと描いてくれたことは多分、貴女は忘れているかもね。
でもね、私は嬉しくてこんなふうに今でもお部屋の壁に貼ってあるの…。
貴女はもう中学生。無邪気な子供時代はもう終わってるね。もう、密かに想っている好きな男の子もいるんじゃないかなぁ。私はそんなふうに思っているよ。だって思春期だもの。
クラブ活動は美術部に入ると思っていたら、剣道部を選んだのね。パパや私に似て運動の苦手な貴女。それでもよく頑張っているそうね。
応援しているよ!
コロナで姪に会えない私に、母が姪の写真を持って来て見せてくれました。
もう「無邪気」は感じられなくなっていました。20歳に近づいている「少女」の顔と思いました。
すっかり大人っぽくなってしまった姪の写真を見て、何だか複雑な気持ちになりました。
自分でもなんだかよく分からない気持ち…。
そして私の顔色が急に暗くなり、塞ぎ込んでしまったのを見て、母はビックリしてしまったと言います。何か私の中に蓋をしていたような複雑な思いが大人っぽくなった姪の写真を見たことで噴き出てしまったのでしょうね。それは自分でもよく分からない思いなのです。
次に母が来た時に私は言われました。
「あなたが姪のことを気にかけているから、今の写真を見せてあげたら喜ぶだろうと思って写真を見せたのに急に暗く塞ぎ込んだのでビックリした。どうして姪の成長を喜んであげられないの。あなたは自分より不幸な人と一緒にいないと幸せになれないように感じた。それではあんまり惨めだ。他の人の幸せを喜んであげられる努力をしなさい。」
確かに私にはそう言う心の傾きがあるかもしれない。でも、違うの。姪の写真を見て塞ぎ込んでしまった理由は自分でもよく分からないの。
子供らしい無邪気さがすっかり消えてしまって淋しくなったというのもあるかも知れない。
母には「嫉妬、妬みばかりじゃなくてね。」と言われたのですが、そういんじゃなくてちょっと違うんです。
確かに自分が惨めな状態にある時にどんどん上に上がっていく人を見て嫉妬心に苦しんだ経験は何度もある。
でもね、姪の成長した写真を見て暗くなってしまったのは「嫉妬」とはまた別の感情で自分の心の奥底に沈んでいたようなものがバーッと噴出してしまったようなもので「嫉妬」とはまた違うものだと思うんです。
姪は思春期。難しい年頃だから心配しています。想っています。
私にとって「なんて醜い嫉妬」と自分でも思ったことは別なことにあるんです。
それは幼馴染のキクちゃんのこと。
キクちゃんは生い立ちが気の毒な子でした。
幼い頃に両親が離婚。母親に引き取られるも、子連れの男性と2回再婚、離婚を繰り返しています。
キクちゃんのお母さんと私の母は高校時代の同級生で仲良しでした。
母からキクちゃんがどのような大変な生まれ育ちだったかはよく聞きました。
キクちゃんはすごく気の強い子でした。いじめなんかに負けない、むしろいじめられたらいじめ返すくらいの気の強い子でした。
母は私に聞かせてくれました。
離婚の原因はお父さんがギャンブルばかりしていてお母さんを殴る蹴るの暴力をする人であったこと。また再婚は子連れの男性で、キクちゃんは本当のお父さん、本当の兄弟ではない子供たちと一緒に暮らすことになり、リラックス出来なかったであろうとのこと。
2度目の再婚では子連れだけでなく、家政婦さんがおり、その家政婦さんがキクちゃんに冷たかった。おやつやご飯のおかずは先妻の子供たちには美味しい良いものが与えられ、キクちゃんにはおやつもご飯のおかずも粗末なものしか与えられず、あまりの差別にキクちゃんのお母さんは家政婦さんに言ったことがあったそうです。そしてまた離婚。この辛い時期はキクちゃんが小学校に上がるまで続いたみたい。
これでやっと、大好きなお母さんと2人だけで暮らせる。この時がキクちゃんにとって一番心が安らげる時だったように思うと。
ただ、生活をしていくために、キクちゃんのお母さんは保険のセールスの仕事をしており、鍵っ子、学校から帰っても、土曜日も日曜日もひとりぼっち。そのことがキクちゃんにとってやはり辛かったらしい。
小学校一年生の時にキクちゃんと私は同じクラスになりました。そして母親同士が仲良しだったので、お互いの家を行き来して遊びに行ったり来たりして、一緒に海水浴、化学博物館などに行って楽しかったです。
そして小学校5年生の一学期にまた悲劇が…。
今度は離婚再婚などというものではなく、キクちゃんの大好きなお母さんが、突然死してしまったのです。ママさんバレーボールの最中に倒れたとのこと。脳梗塞か何かでしょうか?
まだ30代半ばだったと思う。
どんなに気が強い子でも、こんなことがあって悲しくない筈はないと思うのです。
その当時、キクちゃんのお母さんの顔を思い出して、私も自分の家で泣いたことを覚えています。
それでもキクちゃんは学校には来ました。
泣いた顔なんて見たことがない。いつもと変わらぬ元気で気丈な態度でした。
その後、キクちゃんはおばあさんに引き取られ、高校進学にはおじさんおばさん夫婦に引き取られました。
私などは父母の不仲な様子は見たことがありません。初子だったので、祖父母にもそれはそれは可愛いがられ、愛情を惜しみなく注がれて育ちました。2人の弟とも仲良しです。
そのことがどんなに幸せなことか…。
それなのに、私は…。
キクちゃんに嫉妬をした…。
高校を卒業してからキクちゃんは東京に出て行きました。理由としては周りの人たちが「あの子は親のない子」と見る。そして、そのことを皆んなが知っているのが嫌だからというのがあったようです。
それと華々しい都会への憧れ。
亡くなったお母さんが「もしも自分に何かあった時のために」と保険に入っていたので金銭的にも困らなかったのでしょうね。
私は私で「結婚をしても幸せになれない。子供を産んだとしても私が親ならばその子は幸せになれない。だって私の遺伝子を引き継いでいるんだから。難しい社会問題となっていることを経験しただけに自分の子供が同じようになった時、あぁ、やっぱり私の子だからそうなった、という落胆。どのようにしたらその子が幸せになれるか分からない。そうなるのが怖い。」
それだけじゃないけれど、結婚をしないで来た理由としてあげられます。
キクちゃんはキクちゃんで、どう考えても結婚に希望や幸せを見出せる生い立ちではないため多分、結婚には億劫になるだろうな、私は勝手にそう考えていました。
キクちゃんのおばさんのこともよく知っています。キクちゃんのおばさんと私の母とは、小学校時代からの同級生だから。
40歳をすぎて何年か…。43歳くらいの時に、キクちゃんのおばさんから、キクちゃんが結婚したことを聞きました。
でもそのことを聞いた途端に私の心は淋しくなりました。
喜んであげなくちゃダメでしょ!?
…キクちゃん、おめでとう。辛い人生を歩みながらも「この人なら大丈夫。この人は本当の自分を解ってくれる。この人となら仲良く暮らしていける。そういう男性に会えたんだね。」
本音を言うと私もそういういい人が欲しい…。
馬鹿ね。醜いわね。何でも欲しがり屋さんなのね、私は…。
私にも幸せなことがたくさん与えられているのに…。感謝すべきことがたくさんあるのに…。
家族に愛されているのに…。
それと最後に、若いお嬢さんたちが結婚したくない!という気持ちになってしまう要素のひとつとして橋田寿賀子さんのドラマ作品があげられると思う。
「渡る世間は鬼ばかり」「おしん」「隣の芝生」この3ついずれも見たり読んだりすると若いお嬢さん方は「結婚恐怖症」になってしまうよ。少なくとも私はそうなりました。
だって、だって、お姑さんがすっごく嫁いびりするんだもの。昔の人はそのことが分かっていてもお嫁に行ったのかもしれませんが…。
甘い時代に育ったのかしらねぇ。私…。