最近、長い間、友達付き合いをして来た人と、2度目の絶交状態となった。
恐ろしいこと、それは…「可愛さ余って憎さ100倍となる」
仏教系の本で読んだことがあるのだが、人は友人であろうと恋人であろうと夫婦であろうと、相手を愛してるいるようで、本当は自分を愛しているのだとか…本当にその通りと思う。
私は趣味特技というほどでもないが、ピアノを弾く。
私がピアノを弾くことを知っている絶交状態となったその友人は、私に「自分の家にあるピアノを貴女に譲りたい」と言ってくれたことがあった。ピアノとは大変な高価な楽器である。
その高価なピアノを私に受け取って欲しい…そう言ってくれたその人の厚意は嬉しかったし、また恐縮もした。
結局、私のところにその人の家で使っていたピアノが届くことはなく、中古ピアノとして業者に売ったそうだ。それで良かった。
高価で思い入れのある物には人の念がこもるという。その意味で恐ろしい。
私のことを友人として好いてくれていたことも事実と思うが、絶交状態となるとその好意や愛情は燃える憎しみへと変わることもあるのだ。
「好き」が激しい炎🔥のような「憎しみ」へと回転するように変化する心模様は私も経験している。そういった憎しみは長く続くものだ。
少なくとも私の場合は激しい憎しみに苦しんだ歳月は長く続いた。私も執念深いが、その人もまた執念深い人なのだ。
その人の家に置いてあったピアノを譲り受けることになったらこれはとんでもなく大変なことだ!!
考えただけで恐ろしい!!
「可愛さ余って憎さ100倍」の怨念のこもったピアノを見ては悲しく辛い気持ちになったことであろう。
ピアノは大きいし、重たくてそう簡単に移動出来る物ではない。
あぁ、本当に譲り受けることにならなくて良かった。