一週間くらい前かしら?
私、臨死体験??したんです。
家の近くにお寺があるのですが、毎朝7時ごろかなぁ?
ゴーン、ゴーン、ゴーン、鐘が鳴ります。
2階の部屋に寝ている私。
朝、父親が仏壇に線香をあげてお参りしたらしく、下(一階)からは線香の匂い。そして仏壇のおりんの音も鳴ったような…。
それからお寺の鐘の音がゴーン、ゴーン、と死者を弔うように鳴り始めたその音と共に、寝ている私の顔から首元にかけて魂が肉体から抜け出たんです。
少なくともそのように思えました。
そして肉体から抜け出た私の魂は走馬灯のようにこれまでの人生のことが目に移りました。
その時、人生には良いことや幸せに思ったこともあった筈なのに、私の目に写ったのは辛い過去や暗い過去ばかりでした。
それほど辛い時期でなかった頃の私が見えたのは20代後半の私が街を歩いていて元気でいた時のこと。
20代の私は、化粧かぶれで自分が住んでいる田舎町からわざわざ高速バスに🚌乗って街の皮膚科へと足早に歩いていました。
現在46歳の私はその様子を低空から見ていました。
その当時は外の世界には風があった筈です。
色もあった筈だし、活き活きとした躍動感もあった筈です。車の音なんかもあった筈。
なのに低空から20代後半の私が歩いているその世界には風もなくセピア色…。
…死んだ…世界…だったのです…
私は酷く寂しくなりました。
普段心の病〜気分変調症〜のためか、乱れた食生活をしており、「死ぬことなんて怖くないさ。早くお迎えに来て欲しいよ。」
そんなことを慢性的に思っている私は、こんな色もない、風もない、柔らかな温かい陽射しもない寂しすぎる世界に逝くなんて、嫌だ。
本当に心底そう思いました。
生きている間は春の優しい陽射しを受けて風に揺れる可愛い花を愛でることを楽しみ、美味しい食事や綺麗な景色を見ることをじっくりと丁寧に味わいたい…。
死にたくない!!
そう思ったんです。
今は100歳まで生きる時代と言われていますが、皆んなが皆んなそこまで長生きするということはありません。
この臨死体験だったのか???を通して、何となく「あなたの命はあと十何年か二十年くらいだよ。」というメッセージを受けたような気がしたのです。
誰かしらの声が聞こえたわけではありません。
でもなんとなく、あなたは100歳ほどの長生きはしないよ、と何かからお告げを受けたような気がしたのです…。
悩める孤独な10代を過ごした私は、当時、辛い心の慰めになるような気がして本屋さんで霊能者の故宜保愛子さんの著書をお小遣いで買いました。
悩める時、苦しめる時、心が暗く落ち込んで弱っている時など、人は、霊能者や占い師、様々な宗教に興味を持ってしまいがちです。
あの頃の私は小学校高学年。それから宜保愛子さんは沢山テレビ出演をするようになり、本屋さんには沢山の新刊著書が並ぶようになりました。
キリスト教では、死は「神さまのもとに帰る」と教えています。
「天国」が本当にあるのならば、辛い試練が沢山ある人生よりも、ずっと、ずっと、素晴らしいところである筈です。
でも宜保愛子さんの本には「死んだら楽になれると思って自殺をする方がいますが、今生きているこの世より素晴らしい世界など他にないのです。旅をし、美味しい食事、絵画🖼や美術鑑賞、素晴らしい音楽を聴くこと…。
この世にはそういった楽しいことが沢山あります。死んでしまったらそういった楽しいこともなくなってしまうのです。
そのようなことが書いてありました。
私はあの臨死体験??で何かからお告げを受けたように思います。その何かが私をとても可愛いがってくれたおじいちゃんだったらとても嬉しいですが、その「何か」の正体は分かりません。
私、あとどのくらいいきるのかしら?
20年くらいは生きれる気がするの。
だったらその間、歩いている時には外の風を感じ、春の優しい暖かさも、可愛い花々を見ること、時には美味しい食事🍽もし、ゆっくり味わい、ピアノを習い少しでもきれいに弾けているかと感じたり、コロナ禍終息したならばリフレッシュ出来る旅にも出てみたい。
上流の美しい川や湖。山野草のお花畑🌼
あぁ、上高地は素晴らしいところだったなぁ。🏔
でも、おじいちゃんは「上高地なんてたいしたことなかったやろ」と言っていた。
だったら上高地よりも素晴らしい絶景が見れる観光地をできることなら夢で教えてください。
生きることを丁寧に味わいたい…
そう思う今日この頃です。